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 ぶらり歩き   
 31. 伊豆半島を歩く (9)   平成24年6月15日
 4月に三島から下田まで伊豆半島中央部を縦断したが、今回は西海岸を3回に分けて歩くことにした。交通の便と移動時間を考えて、まず一泊二日で戸田(へだ)から松崎まで、次に戸田から江梨(えり)までを歩く計画を立てた。
 
 修善寺駅でSさん、Kさんと待ち合わせし、路線バスで戸田まで移動する。修善寺駅前の商店に設けられたスポットライトの支柱に一羽のツバメが羽を休めているのを、バスの座席から発見し、初夏を感じる。
 バスは伊豆半島の中央部から戸田峠を超えて西海岸に向かって走るが、乗車時には満席の座席も修善寺虹の郷に到着すると、ほぼ我々3名を残して全員が下車してしまう。寂しい車内となるが、ゆったりと座席を占有して、のんびりと伊豆の山容を楽しむことができる。急峻な山が西海岸への道に立ち塞がるよこうに迫っているとを知る。戸田峠を越えると、遥か下方に濃紺に光輝く駿河湾がダイナミックに遠望できる。

 戸田に到着したときはすでに正午を過ぎており、歩き始めるが、御浜岬(みはまみさき)に向かう途中の食堂で昼食を摂る。今日の行程はバス移動を中心としているため、Kさんは日本酒、小生はビールを合わせて注文する。Sさんは自重。

 腹ごしらえを済ませ、御浜岬(写真32)に向かって歩き出すが、戸田港の遥かかなたに山頂にいく筋かの雪を残した富士山の姿を薄っすらと認めることができる。
 寄り道をして、幕末1854年に日露通商交渉のために来日したロシア使節のプチャーチン提督の宿泊所となった宝泉寺(写真33)を訪ねる。 不幸なことに安政東海地震(マグニチュード8.4)の津波により、下田に停泊していた軍艦ディアナ号が大破したことから、彼は帰国のための船を戸田で建造することになり、宝泉寺に長期間の滞在を余儀なくされた。宝泉寺の参道には、この辺りの海抜が3.8mであることを記した木製の標識が立てられており、発生が想定されている東海地震などへの地道な努力が窺える。

 御浜岬は砂浜が広がり、しかも反対側からの岬で囲まれた内海となっているため、波も穏やかな絶好の海水浴場である。岬の先端にはプチャーチンに関係した資料を展示する戸田造船博物館(写真43)がある。博物館前には、津波で大破したディアナ号の重量4tの錨が展示されている。館内には、ディアナ号乗組員と戸田の船大工が言葉の壁と技術すり合わせの苦難を乗り越えてわずか100日で完成させた日本初の洋式帆船ヘダ号の模型(写真35)が展示されている。鎖国していたとはいえ、現在の技術立国日本につながる江戸時代の技術の高さを知らしめる史実といえる。
 
    
 

写真32 御浜岬(遠景)

写真33 宝泉寺

写真34 戸田造船博物館

写真35 ヘダ号模型

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